株式会社コンテス
皮膚科医おすすめの
無香料・低刺激性化粧品のパイオニア
化粧品メーカーの「コンテス」(本社・東京)は、皮膚科医が推奨するいわゆる“ドクターズコスメ”と呼ばれる無香料・低刺激性化粧品のパイオニア。創業オーナーの高橋淳夫会長は独自の販売ルートを開拓し、会社設立以来「30年間連続黒字」という右肩上がりの堅実経営を続ける。1昨年11月から次男の高橋祐介氏が社長に就任。親子二人三脚で新たな飛躍に向けて事業拡大に取り組んでいる。同社の経営理念やこれからの戦略について、高橋淳夫会長と祐介社長の両氏に聞いた。
ルーツは明治26年の創業
――このコンテスは1980年の会社設立ですが、創業の経緯は?
高橋会長 社史を紐解くとルーツは古く、私の祖父が明治26年(1893年)に創業した「高橋東洋堂」という会社が前身です。当時、化粧品は問屋さんを通じた販売でしたが、大正12年に、メーカー直売の制度取引が資生堂さんと祖父の会社で始まりました。
戦後はTVが始まり宣伝の時代を迎え化粧品事業も一大飛躍し、高度成長の時代へと進みました。一方で、昭和48年(1973年)頃から黒皮症など化粧品の成分が肌を荒らすという疑いが社会問題化して、消費者運動も盛んになりました。同時期に、会社では事業転換があり、化粧品事業と不動産事業に二分し、化粧品においては、皮膚科向けの分野に進んでいきました。
――その化粧品事業を高橋会長が独立して継承されたのですか。
高橋会長 昭和48年親交のあった皮膚科の先生から、「刺激のない化粧品が作れないか」との依頼を受けたので、早速「低刺激・無香料」を基本コンセプトに新しいタイプの化粧品の開発に着手しました。皮膚に対する刺激性やアレルギー反応など安全性を評価するパッチテストを徹底的に取り入れ、肌に優しい刺激のない化粧品の商品化に成功し、高橋東洋堂が不動産事業に特化したため、それならば、化粧品事業を継承しようと仲間11人と一緒に別の会社を立ち上げたのです。30年も経ち、現在では多くの企業が参入し、活況を呈するようになりました。
――会社名を「コンテス」とされたのは?
高橋会長 設立当初の会社名は「愛麗」という漢字表記でしたが、平成9年(1997年)に、東京・中野坂上に本社を移転したのを機に、「コンテス」に統一しました。コンテスはフランス語で伯爵夫人という意味で、すでに、昭和33年に、前身の高橋東洋堂の時代から化粧品の商標として使っていました。
皮膚科学会で評判の低刺激のスキンソープ
――刺激のない化粧品の商品化というのも一朝一夕には実現できないことでしょうね。
高橋会長 高い安全性を確保し、よりよい商品を開発するために、皮膚科専門の先生方からいろいろな助言を頂いており感謝しております。おかげさまで、独立して5~6年後には、世界中の低刺激といわれる石けんを分析。パッチテストを実施して、中でも最も安全で低刺激なスキンソープを自社開発したときには、日本皮膚科学会での論文発表で「画期的な石けん」として高い評価を受けました。そのスキンソープは、皮膚科のアトピー性皮膚炎の診療にも使用されるようになって、当社の商品がお役に立っていることは有り難いことです。
――2009年11月から、実務的な経営をご子息の祐介社長に譲られましたね。
高橋会長 理由は2つあります。世代交代のタイミングを考えると、コンテスを起業してから30年が経過し、私自身も70歳の古稀。息子の祐介も40歳になるので、1つの区切りとして、験を担いだゴロ合わせということではないですが、バトンを渡すことに決めました。
――そして、もう1つの理由は?
高橋会長 世の中、デジタル化が進んで、私のようなアナログ人間よりも、若い人の方が今の環境に適応しやすい。しかも、取引先の方々も2代目、3代目と世代交代が進んでいます。絆を大切に、これからもお付き合いを続けさせて頂くためには、ジェネレーションギャップを感じさせない柔軟な対応が求められていると思ったからです。
ドクターズコスメのさらなる向上と普及をめざす
――コンテスの経営を継承されましたが、小さい頃から父親の会社を継ぐことになっていたのですか。
高橋社長 私は兄と2人兄弟ですが、学生時代までは「親の会社に入れ」と言われたこともありませんでした。大学の専攻は文科系で、マスコミ志望でしたが、自分には向いてないと感じ、最終的には縁がなかったので卒業後はリース関連の会社に就職しました。
――しばらくしてからそのリース会社を辞められて、コンテスに移られましたね。
高橋社長 入社6年目、1998年のときですが、リースの営業の仕事も慣れてようやく面白くなってきた矢先に、突然、父親から「会社を手伝ってくれ」と、ほぼ一方的に話を持ちかけられました。しかも、すでに、外堀は埋め尽くされており、そこまで望まれるならやってみようと、リース会社を退社して、コンテスに入ることを決心しました。
――入社後は、どんな仕事に従事されたのですか。
高橋社長 最初の3年間は、埼玉県の越谷市にある工場勤務です。生産現場では、大先輩のベテラン幹部社員から、生産工程や生産管理のノウハウなどをみっちりと叩き込まれました。その後は、工場と本社を往き来しながら営業面を含めて経営の全般を学んできました。トップマネジメントというのは、会社の規模の大きさに関係なく奥が深い。2年目に入っても、“初心忘るべからず”という謙虚な気持ちで、先輩のみなさまのアドバイスに耳を傾けながら一歩一歩前進したいと思っています。
――これからの抱負と戦略をお聞かせください。
高橋社長 れまでの間、会長から直接学んだ経営哲学は「何ごともバスに乗り遅れなければ、焦ってやることはない」という堅実なかじ取りです。一生懸命努力してもなかなか成果があがらない厳しい時代ですが、先人が長年かけて築き上げてきたお客様との信頼関係を大切に守りながら、これからもパーフェクトな商品の開発をコツコツと積み重ねて、ドクターズコスメのさらなる質の向上と普及に貢献できるように頑張って取り組んでいくつもりです。
――本日はお忙しいところ、ありがとうございました。
インタビュー・文:福田 俊之
〉関連情報
株式会社 コンテス:TEL 03-3366-5521
•••お悔み•••
平成30年8月30日、株式会社コンテス 会長 髙橋淳夫氏が逝去されました。
当マガジンへのご協力に感謝致しますとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。