レンブラントに魅せられた現代芸術の革命児
今はもう秋。全国各地では、「芸術の秋」にちなんだいろいろなイベントが催されている。美術館やギャラリーで著名な画家の作品に触れ合ってみるのも素晴らしいが、心をときめかす芸術作品はそればかりでない。アートの世界は実に奥が深く極め尽くせないが、そんな中、古き絵画の常識を打破せんとする新進気鋭のアーティストの向川貴晃(クロキリ シヴァ)氏は「そっと『死』に寄り添いたくなる空間」などとファンに絶賛され、リアル描写で魅せる荘厳な世界を描き続ける。他方、広島市立大では芸術学部の助教として教鞭をとる現代芸術の“革命児”でもある。
黒鬼劉刺覇(クロキリ シヴァ)とは?
――まずは、ペンネームなのか、ニックネームなのか気になっている名前のことからお聞きしますが、ネットのブログなどでは黒鬼劉刺覇(クロキリ シヴァ)という人がよく登場していますね。
向川(クロキリ シヴァ) 我輩のことデス。絵に詩がついたシリーズがあります。最初は絵についている詩を書いているのが「クロキリ シヴァ」で、絵を描いているのが向川氏でした。設定ではないのだけれども・・・・設定上という言い方でわかりやすく説明すると、今は合体融合しているので・・・・向川貴晃は世を忍ぶ仮の姿で、アーティストとして表に出てくるのはクロキリシヴァという感じでしょうかね・・・・尊敬するデーモン閣下的に言いますと。ドラゴンボールでいうところの、ピッコロが神と融合したような・・・・詳細はブログを読んでください(笑)。
元々は憧れのアーティストでもあったⅩ-JAPANのYOSHIKIが作詞をするときの「白鳥瞳」からきていると思ってもらえると、わかりやすいかもしれませんね。
荘厳な世界を描く作風は変幻自在
――絵心がない私でもあなたの作品には、巨匠を唸らせるほどに作風がなかなか多彩で、エキセントリックさと、若い人の持つ危うさとマッチングするものを感じましたが、描き続けているテーマとはどんなことですか?
向川 そうですね。もともと油絵の成り立ちは宗教画でした。命に対するおそれなくして、人々は信仰することもできません。それがグロテスクなおどろおどろしい表現に共感してくれる若い世代とシンクロしていくと感じています。
――たしかに若い人に好まれるゴスロリファッションとか、新しい音楽のトレンドに重ねあわさってくるような印象がありますね。
向川 人生の先輩のみなさんの前で、世を忍ぶ仮の姿としてのまだ30代半ば(実年齢666歳)の私がそんな言い方をするのも生意気かと思われますが、今の若い人の”芸術離れ”には目に余るものがあり、とくに展覧会の集客力の弱体化は見逃せません。そんなわけで、若い人を少しでもアートの世界に振り向かせることは、もちろん意識しています。
――なぜ、このような絵の世界にのめりこんでいかれたのでしょうか?
向川 世を忍ぶ仮の姿としての私は生まれも育ちも北海道の札幌です。北海道といえばウインタースポーツが盛んですが、どちらかといえば幼い頃から外で駆けずり回るよりも、部屋の中で絵を描いていたりするほうが楽しかった。世仮(*)の父親は小学校6年のときに、まだ46歳で他界しましたが、振り返れば、その父に、絵の素晴らしさを教えられ、絵の世界に飛び込んだのだと思います。父は設計関係の仕事に従事していましたが、時折、図面を書くのに使っていた紙の端切れがでると、それを使って絵を描くと父が誉めてくれました。早く亡くなりましたが、父の影響は大きかったと思います。
*世仮(よかり):世を忍ぶ仮の姿の略。聖鬼魔Ⅱ悪魔用語の一つ。
――やはり、芸術の世界で羽ばたくには素質や才能は大切ですよね。
向川 父親の影響もありましたが、私自身、アニメやマンガが大好きでしたから、なにがなんでも絵の関連する仕事は小さい頃からやりたかったですね。大学も基礎から学びたいという意欲から、広島市立大学で油絵を学ぶことにしました。よく、北海道出身なのになぜ、広島の大学を選んだのかと聞かれますが、当時の北海道の大学には芸術学部がなかったことと、基礎から技法を徹底的に学べると聞いて地元を離れることになりました。
母校の広島市立大で油絵専攻の学生を指導
――広島市立大では大学院に進み、博士号(芸術)まで取得されたのですね。
向川 とにかく、大学入学前にレンブラントの絵に出会いあこがれ、その画法を徹底研究して、昔の絵の具も再現しました。そこに行くまでにはレンブラントのタッチをなかなか再現できませんでしたが、たまたま、アンソニー・ヴァンダイクの名画を模写する機会に恵まれ、それをきっかけに技法をじっくり研究して、絵の具の成分と材料の違いに行き着き、ついに思ったような表現ができたときは本当に嬉しかった。
――レンブラントといえば、フェルメールとともに17世紀のバロック期を代表する有名な画家であることは、小学校か中学の美術の教科書にも載っていたので知っていますが、あなたがあこがれたのはどうしてですか?
向川 人物の質感描写における絵肌の圧倒的な凄みです。博士号を取得するための論文のテーマが「絵画における調子とアウラ-レンブラントと写真術の考察を通じて」ですが、大学入学前から抱いていた描写のこの謎を研究することになったわけです。レンブラントは光と影の明暗を明確にする技法を得意としていました。とくに人物描写の輝くような色彩と場面状況を明確に伝達する劇的な運動性や登場人物に示される深い精神性を帯びた表情などをダイナミックに描いた感動的な作品には魅了させられるほどでした。
――現在、地道な創作活動にいそしむ傍ら、母校の広島市立大では助教として油絵専攻の学生たちを指導しているそうですね。
向川 はい。世を忍ぶ仮の姿としては、母校の油絵専攻の学生を教えています。一週間のうち、大学での拘束される時間も長いですが、授業が終わると、キャンパス内のアトリエなどで朝まで創作活動に没頭しています。
――なるほど、発想の転換も必要だと思いますが、今の学生さんはどうですか?
向川 うーん、のんびりした感じですね(笑)。教え子の中には頑張って絵の世界で活躍している人もいますが、最近の学生は、油絵科に入った目的が絵描きになりたくて入ってくる人ばかりではない。マンガやアニメ、絵を描くのが好きだけど、何をやりたいのかという明確な意志を持っている人ばかりではないですね。どんなに優れた才能の持ち主であっても、日々の創作に熱心でなければなかなか開花しません。入ったときは差がなくても、絵を描く熱心さによって作品にもはっきりと差があらわれるものだと思います。
アーティストとして自身の価値観を高める
――それはまずいですね。活をいれないと(笑)。学生さんのことはともかく、ご自身のこれからの将来目標とは?
向川 現在は、画家として絵描きがメインですが、教え伝えることも大事です。次世代に描くことの素晴らしさを伝え、絵の世界の幅も広げたいですね。絵は部屋に飾るだけでなく、もっと芸術という面での広がりをつけていきたいと思います。
一つの例としては、広島県呉市に街づくりの一環として「芸術村」で普及活動をしたこともありました。もっとも、そこでの展覧会はやはりどうしても市民向けの無難な絵が求められます。たとえば、義足を履いている人の絵はNGであるなどの制約が厳しく、納得できないことが多々ありました。ただ、それが現実で、そうした閉鎖的な社会のなかでもマニアックなファンも応援に来てくれるわけで、古い慣習を打ち破って若い人たちが見たくなる作品を発表して絵に興味を持ってもらうことも使命ではないかと思います。
――自身がデザインした特製のTシャツもコラボレーション商品として販売していますね。
向川 Ⅹ-JAPANのYOSHIKIさんにも衣装提供されているh.NAOTOさんとのコラボレーション商品です。もっとアーティストでありたいですね。様々な活動はこれまで求められることをこなしてきたつもりです。それはとてもありがたいことですが、やりたいことも変化しつつ、本来やりたいこととは違うこともあるのでいつも不満は残りますね。私の中の絵の世界には、絵以外の表現も含めて求められているものだけでなく、自分自身で納得できるものをアピールして広げていきたい。Tシャツや服のデザインもそのひとつです。夢が叶うなかでは、だんだんあこがれのアーティストと出会って誰々と何かしたいということが夢であったような昔の感覚でいられなくなったのは事実です。抽象的な言い方かもしれませんが、自分自身があこがれられる存在にならないと全く意味がないですね。もはや自分の興味のあるものにしか興味がないのです。
――ということは、レンブラントに魅せられた頃とは違って自分自身の存在感を高めたいとういわけですか。
向川 はい。まわりの影響は受けなくなっています。むしろ、枯渇感がどんどんやりたい方向に傾いていきます。絵をひとつの軸として、やりたいことに対する価値観を高めていきたいですね。妥協のない影響を受けない、一般には好まれないものであっても、やりたいことをやりとおすことで、ブランドへのこだわりというのか、広がりが出てくるのではないかと期待しています。
――そうなると、活動拠点は海外になりますか?
向川 いや、海外へのあこがれも薄れつつあります。日本の独特の感覚。その文化も高い水準にあると思っているので、世界の感覚よりも、自分がやりたいことを深めるしかないという思いです。絵の世界に足を踏み入れた頃はレンブラントの技法にあこがれるとともに、可愛がってもらった祖父を題材に人物描写の研究に老人の絵を描いていました。祖父が亡くなるまで描ききってからは家族の絵を中心に描くようになりましたがね。
――絵を描くことによって人の命のはかなさを学ばれたわけですね。
向川 古き画法を取り入れて、命の芸術性を追い求めていきたいという考えは変わりません。ですから、ネガティブなこと、うらみや怒り、哀しみとか、なかなか作品にしにくいものを作品にしていくのが、自分の作風かと思います。そのなかに同世代の人たちが抱えている闇を表現することで共感してもらい、心が救われてほしいと願っています。ハッピーな絵では多少なりとも癒されたとしても救われませんよね。
――なるほど、画家であり、クリエイティブデザイナーであり、詩人でもある。それに大学教員もこなすという多彩な才能の現れですね。多忙の中、長時間にわたりありがとうございました。
インタビュー・文:福田 俊之
写真(人物):前田 政昭
〉関連情報
向川貴晃オフィシャルサイト:http://gente666.web.fc2.com/tm01.html
ブログ:http://ameblo.jp/kill-you-in/
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