憶い出の神楽坂
外堀通りから神楽坂に入り、先ずは、毘沙門天(善国寺)さんに敬意を。たまたま今日は、花屋さんが門前に出店。門の前に鉢物、奥の入口に活花。花の香りしきり。
門をくぐり石段を登る。社殿への石段両側に石の狛犬、ではなくて、石の虎が対峙する。この寺の御本尊は、江戸後期の石の仏様。ご挨拶を済ませ、今日の晝食は道を渡り鳥茶屋のランチ。以前の晝食は毘沙門さん右隣り洋食だったのだが、バブル崩壊の頃か、無くなってしまった。今は、鳥茶屋が堂々として多くの顧客を引きつけている。晝食2,000円前後、夜のうどんすき7,000円から10,000円程。
下の大通りから右側を上って来る最初の出会いは、甘い物の紀の善。ぜんざい等、昔と変らぬ品揃え。少し上って陶柿園は古くからある陶磁器、ガラス器の店。ある時代、ここで切子の酒器などの家財道具を買ったことも。通りの向いの陶磁器ブリキ細工の店は、今は看板はないが太陽堂。
並んで履物、傘などを置く店は助六、更に上の陶芸専門は、丸岡陶苑も健在。昔、九谷焼の瓢の徳利を買った。道を反対側にもどると、今は何屋と呼ぶのか定かでないが、菱屋さんは、やはり呉服商と書くべきか、その上は日光金谷ホテル・ベーカリーが定着していて、そして鳥茶屋。この辺りは、新しい店もあるが、まだまだ昔ながらの店も多い。和装小物、陶磁器の店の多さも、昔の花街周辺の特徴なのか。新しく出来た店は圧倒的に飲食店が多いのも近代の特徴。
そういえば、以前、この街で芸者さんを呼んで、他愛ない遊びとして楽しんだのを憶い出した。連れて行った客は、豪州BHP社(当時国営の最大企業・探鉱・製鉄等)の日本駐在員。イアン・マッケンジー氏は20代後半巨躯の好漢だった。その時の遊びは、瓶ビールの早飲対固茹で卵の早喰い競争。茹で卵をほお張り目を白黒させている必死のイアンを尻目に、ナイスボディの彼女は真上をむいて大きく口を開け、そこに同僚が、ビールを一息に注ぎ込む。一瞬で勝負あり。賞金は天晴れ彼女の手中に。お見事、ご苦労様でした。
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するがどう本舗にて、小冊子版『やすらぎの歳時記』
で、どうそ。
1937年生まれ。慶大経済学部卒、総合商社、大手石油会社などを経てフリージャーナリストとして独立。国際政治・経済問題から芸術文化、和菓子の研究まで豊富な知識と深い見識で執筆活動を続けている。