南国の楽園をモチーフに、生きることの楽しさを感じさせてくれる作品を描き続ける画家でイラストレーターの廣川じゅんさん。子どもから大人まで世代を超えた絵画教室やカルチャースクールの講師などをつとめる傍ら、創作活動を通じてストレスの多い現代社会の中で毎日がんばっている人に勇気や爽やかな心地よさを与えてくれる。その廣川さんに、天職として芸術家の仕事を選んだきっかけやこれからの創作活動などについて聞いた。
ショッピングモールなどのディスプレイを依頼される
――平成から令和に代替わりして、昨年(2019年)は多くの国民が新たな時代の到来を実感したのではないかと思いますが、廣川さんにとっては、どんな1年でしたか。
廣川 新元号の「令和」に改元されたことでは、私自身、何か大きな変化があったわけではありません。それでも、仕事面では、ショッピングモールで壁面や柱にデザイン画を描くディスプレイの依頼などを受けたことなどが新鮮でもあり、やりがいもあったと思います。
――ディスプレイの仕事とは、具体的にどんなことでしょうか。
廣川 これまでも大阪や横浜などで同じような仕事の依頼はありましたが、今回の場所は東京・江東区の東陽町にある大きなショッピングモールです。そこのイベントの一つですが、壁面に私が描いた細かい線描画を拡大展示して、子どもたち300人くらいを募集して、色とりどりのマーカーを使って塗り絵をしてもらうという企画です。年末にはクリスマスシーズンに合わせたデザイン画を描きました。
また、友人のトリュフチョコレート専門店のクリスマス用ウィンドウディスプレイとして絵を描いたり、家族の経営する有楽町の沖縄料理屋の新店舗の外壁と、内部の壁画を描いたりなどもしました。
――夢があって楽しそうですね。ショッピングモールのイベントでは、子どもたちには好き放題塗ってもらうのですか?
廣川 いいえ、けっこう大変なんですよ。私の線描画を企画会社が拡大コピーして壁に写すので、原画は小さくてもディスプレイの大きさは横4m縦2.5mほどあります。そこで子どもたちにちゃんと付き添っていないと、顔を黒く塗っちゃったり、いたずら書きになっちゃうので、ひとりひとり色の選択とかを誘導してあげないといけません。子どもの作品らしく仕上げるまで結構気を使いますね。
才能に関係なく絵は誰にでも描けるもの
――なるほど、廣川さん主導のもと、子どもたちとの共同作業なのですね。画家でイラストレーターの廣川さんは、ご自宅のアトリエで絵画教室も開いていますよね。
廣川 ええ、もうかれこれ30年近くやっています。生徒さんの数は年によって10人くらいから30人と変化はありますが、基本的には個人レッスンですから通って来られる生徒さんは月に1回とか、週に1回とかで、本人の希望に合わせてお互い無理しないように教えています。
――世には天才画家と呼ばれる人も数多くいますが、絵は才能のあるなしがありますよね。これは生まれつきですか?
廣川 さあ、どうでしょう? 絵は誰でも描けるものなんですよ。確かに大勢の子どもたちに教えていると、生徒さんの中にも洞察力、ものを見る能力がすごいと思う子もいます。でも、絵を描くのが上手になるかどうかは、大げさかもしれませんが、教育制度の問題もあると思います。昔から学校教育はいわゆる読み書きソロバンというように横並びで一般的な勉強を学ぶ教育に熱心なあまり、本来能力があった人でも、その個性や才能を伸ばすチャンスを失ってしまいます。つまり、絵を描かなくなることを受験や部活のためにおのずから選択してしまうのです。私の教室に来られる大人の方でも、図画・工作の授業があった中学校以来、一度も絵を描いていないという人も少なくありません。本人や、ご家族の気持ちの向け方も一番大きな方向性の決め手ではありますが。
――絵が上手か下手かは鑑賞する人の感性にも左右されると思いますが、廣川さんの教室に通っていた生徒さんで、才能を生かして絵を職業にしている人もいますか?
廣川 はい、いますね。子ども時代からアトリエに通われていた人で、プロのデザイナーや、アート関係の職業につかれた方々も数多くいます。 私の教室は描かせるという指導ではなく、自由に描きたいものを描いてもらう場合もありますし、こちらで課題を提供して、その作品についてもっと上手に描くにはデッサンや色使いなどをどうすればいいのかなどをアドバイスする場合もあります。特に大人の方々は、ご自身で描きたい対象がはっきりしていることが多いですので、自由にモチーフを選んでもらう事もあります。
欧米のカルチャースクールなどでは身一つでスクールに出かけて行って、お酒などを飲みながら自由に仕上げて作品を持って帰るのが流行っています。日本でも同じように企画しているスクールが東京にあり、その講師に呼ばれることもあります。その場合、描きたいテーマのない方のために、有名なモネの「睡蓮」とかルノワールの作品などを用意して、模写のデモンストレーションをします。絵筆ではなく、スポンジで描いてみたりすると、また違った面白さが出てきますし、同時に模写することで巨匠達の絵の奥深さを感じることもできます。こういうのは一例ですが、もっと気軽にアートに親しんでほしいと思います。
――著名な画家の模写は問題ないのですか?
廣川 教材で使うだけでその作品を売るわけではありませんので、問題はないのですが、一応、作家の死後50年を経た著作権に問題の生じないものを扱いますね。
芸大から卒業後は化粧品大手の小林コーセーに入社
――ところで、絵を本格的にはじめられたのには、何かきっかけはあったのですか?
廣川 そうですね・・・・。私自身は特にありません。あえていうならば、自然に、でしょうか。もっとも、物心がつき始めた3歳のころから、絵を描き続けられる家庭環境には恵まれていたかもしれません。運動は苦手で友達と外で遊ぶのも好まなかったのですが、小学校1年のときには、芸大出身で陶芸などもやられる方のもとで絵を習ったことがきっかけといえばそうでしょうか。もっとも、高校までは小中高一貫の横浜雙葉に通いましたが、美術部などの部活もしませんでした。それでも、大学受験で志望校を決める際、美術系の学部に進学したいと思うようになり、高校時代には御茶ノ水の美術系の予備校に夏の講習から通って、受験の年は毎日のように試験のためのデッサンや色彩・立体構成などの勉強をしました。
――その努力が実を結んで、東京芸術大学に見事に現役で合格したんですね。
廣川 運が良かったんですよ(笑)。浪人経験がない分、後々まで苦労しましたし。
――卒業後は就職されたのですね。
廣川 はい。1970年代後半の当時は、女性のデザイナーの専門職を募集する企業は本当に少なく、選択肢も限られた中で、一番興味深かった小林コーセー(現コーセー)に入社しました。
――入社後はどんな仕事に携わったのですか?
廣川 小林コーセーでは日本橋にある本社で化粧品のパッケージデザイン部門に配属されました。もう好きなことなので、何をやっても面白く楽しくて仕方なかったですね。たとえば、「スポーツビューティー」のパッケージ。業界で初めての、ハードなスポーツに対応できる専用の化粧品ブランドでした。当時は、夏の季節感で爽やかな色合いのブルー基調がふつうでしたが、私は黄色と黒でパッケージをデザインし、東京グラフィックデザイナーズクラブ賞を受賞し、長く愛される長寿商品になっています。まだアナログの時代でしたから、パッケージの原型は粘土で作るんです。数ヶ月の間にいくつかのサンプルを制作してから、社内で投票して決められました。全国津々浦々まで販売する商品ですから、自分が良いと思っても、通らない場合もあります。自分のデザインが商品化された時の感激というのか、喜びはひとしおでした。
――しかし、小林コーセーは5年ほどで辞められたんですね。
廣川 諸事情で辞めるのは残念でした。ですが、上司の部長が女性で、私の気持ちを理解してくれて、辞めてからも仕事を回してくれました。おかげ様でフリーになってからも、家でデザインの仕事をすることも多くなり、日本橋の本社にもしばらく私の席がありました。
――今では子育て中の女性社員などの「働き方改革」でも話題になっている「在宅勤務」の先駆けですね。
廣川 私の場合、在宅勤務といっても立場はフリーですからコーセー以外からも依頼があれば引き受けられるので、デザインの仕事の幅が広がったことはよかったと思います。たとえば、横浜港に保存して公開している重要文化財の「日本丸」のグッズのデザインとか、市の会報のイラストや工芸博物館の「横浜人形の家」の関係の仕事や、色々な地方のお菓子のパッケージなど、2人の娘を育てながら、いろいろやらせてもらいました。
作風のヒントは友達からもらったサンゴの欠片
――ところで、廣川さんの作風というのはどのようなきっかけで出来上がったものなのですか?
廣川 きっかけですか? 改まって考えたこともありませんでしたが、思い当たるとすれば・・・・、少女時代、サンゴの欠片を友達からもらい、それが興味深かったことでしょうか。友達のお父さんが船乗りのフランス人の方で、航海で南の島を訪れたときのプレゼントだったのでしょうね。そのサンゴから、南国への興味がわいたのを覚えています。それから、中学生のとき家族でハワイに初めて行きました。南の島でのそのときの空気感、温度といった肌に感じる心地よさがとても好きになり、自然とそうした南国とその風景から得られる癒しや神秘的なパワーを絵に表現したいと思いました。そして、大人になってからは、休暇といえば南の島へ、沖縄、南太平洋、アジア、インド洋など、旅を続けて、南国の空気と印象をひたすらもとめて歩きました。
――なるほど、それが南国情緒いっぱいのあの光と色の溢れる作品に反映しているのですね。
廣川 はい。絵を描く作家さんによっては悲しみや怒りを表現する人もいますが、私の場合は、何かと暗い話題の多い今の世の中で、パラダイスを描くことで、癒し、明るさや楽しさといった幸福感を表現しています。少しでも多くの方に感じでいただければ・・・・その思いをずーっとテーマにしています。もちろん、表現の仕方にはいろいろ変化があります。今はダイレクトな色合いのものから、実際とは全く違う色を使ってみたり、最近は抽象画的に表現するのも面白いと感じています。 絵はどんな表現も自由自在です。絵を描き、制作する事によって、自身の精神の解放にもつながり、どのように表現するかを考えるのが至上の楽しみでもありますし、難題でもあります。
今年は個展や本の挿し絵の仕事などにも注力
――店舗のティスプレイやカルチャースクールの講師、それに自宅での絵画教室と、多忙極まる日々のようですが、新年を迎えてこれからどんなことをやっていきたいですか。
廣川 大きな一年の山場は、個展の開催です。有難いことに、20年近く毎年企画展を入れて下さる表参道のギャラリーをはじめ、銀座や横浜など色々なギャラリーにお声をかけていただいて、その目標に向かって制作をすすめています。
また、毎年京都でも、多人数のグループ展に参加させていただいております。画廊で原画を発表して売るだけでなく、仕事の広がりができます。実は東陽町などのショッピングモールのディスプレイの仕事が舞い込んできたのも個展がきっかけなんですよ。開催するなかで、出版社から本の挿し絵の仕事の依頼などもありました。また、海外のアートフェア(パリ、ニューヨーク、マイアミ)にもお声をかけていただいて、出品したりしました。ご縁は、ありがたい事です。
――絵画やイベントなどの創作活動など、これからも楽しみです。長時間ありがとうございました。
*トップ画像作品:「楽園礼賛」2018年/木製パネルにアクリル/727×606×27㎜
インタビュー・文:福田 俊之
写真(インタビュー時):前田 政昭
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