遥かなる北端
踏破距離1500キロ #2
人間にはおよそ二種類ある。日常生活に幸せを求め、いまここにある小さな世界で満足できる人。日常がどれだけ幸せでも飽き足らず、常に「ここではないどこか」を求める人。
私は後者だ。大学3年の秋、一枚の切符を握り、鉄路で日本最北端を目指すことにした。まだ見ぬ北の果てへの憧れが、この旅へと駆り立てた。
みちのくに入って
車窓の景色は相変わらず曇天で、秋晴れの下稲穂がうねる田園風景を想像していた私は、ややがっかりしていた。
福島からさらに1時間弱列車に揺られ、14時手前に仙台駅に到着した。上野駅で買い込んだ駅弁の深川めしを平らげ、一息ついたところだった。
仙台。私はこの街を幼い頃から何度訪れたことだろうか。こざっぱりとした街並み、緑に囲まれた広瀬川、素朴で親切な人々、どれをとっても懐かしい。母方のルーツがこの地にあるので、東京の他のどの街より親しみを覚える。東日本大震災後の大学一年生の夏、鈍行列車で初めてひとり旅をしたのは、この街だった。当時も今も常磐線(*1)は復旧しておらず、本来なら遠回りであるはずの東北本線が唯一の選択肢であった。車窓から見えた痛々しい震災の爪痕が記憶に新しい。
さて、この街で夜を過ごす時は、決まって国分町の飲み屋街へ繰り出すのだが、今回は生憎、途中下車は20分程度。せめて昼飯前に着いたら、名物の駅弁「亘理(わたり)のはらこ飯」を買って食べる楽しみがあったのだが。これはイクラと鮭の身を、鮭の煮汁で炊いた飯の上に乗せた「魚介版の親子丼」とでも言うべきもので、仙台の南にある亘理町の郷土料理である。伊達政宗が地元の漁師たちに献上されたものを食したという言い伝えが残っている。昔は新幹線の車内販売で売られており、東京への帰途に車内でかきこんだ思い出がある。駅弁通は食べ終わった後、はらこ飯の弁当箱に茶をかけて、だしの浸みた汁をすするのだ、と鉄道マニアの叔父が以前教えてくれたが、真偽のほどは定かではない。
仙台から盛岡へ
わずかの間駅前をぶらついた後、仙台駅を出発し、小牛田(こごた)で乗り換えて一関を目指した。東北本線は北へ向かえば向かうほどロングシートの車両が多くなり、深く椅子の背にもたれて体を休めるのが難しくなる。盛岡に着いた頃には日も暮れかけていたが、これから先目的地の八戸に着くまでにはまだまだ距離がある。一日中列車に揺られているものだから、平らなホームに降り立つと違和感を覚えるほど、身体が揺れに慣れてしまった。列車が終点に着くたび、あわただしく隣のホームに走るなどの場面が多く、鈍行列車の旅は思っていたほど牧歌的なものではなかったが、耐えられぬほど体力的に辛いものでもなかった。
そしてそれより問題なのは退屈である。移動中の時間感覚は、言うなれば入院している時のそれに似ている。はじめはこの時間を利用して本でも読もうと意気込み、普段は読まない長編小説などを捲りだすのだが、次第に飽きてしまうと携帯でネットサーフィンをはじめ、それにも飽きてしまうと、暇をつぶすものがなくなってくる。ところが何もすることがなくても、人間の思考は四六時中とどまることがない。対象を失った意識は自己へと向かい、私のような過剰に内省しがちな人種は、自分で企画しておきながら「これから一週間も列車に揺られ続けて何の意味があるのだろうか」などと自問自答が始まるので、あまり愉快な時間ではなくなる。
古代ギリシア時代から人は人生を旅路に例えたものだが、この旅路の空虚をどうやって埋めあわせるかに生き様や人となりが現れてくるのだろう。現代人の多くは、常に仕事をしていないと気が済まないが、そんなものは旅路の途中でする暇つぶしとそう変わるものではないと私は思っている。時間を無為に過ごすことに罪悪感を持っている、というより持たされてしまっている現代人は、プライベートの旅行中でさえ空港のラウンジでPCを立ち上げ、泣きわめく子供達や白い目で見てくる妻を尻目にホテルから社用携帯で連絡を飛ばし、自分の仕事がいかに意義のあるものか信じようとする(むろんそうせざるを得ない状況もあるだろうが)。
だが死を迎える時、空虚に耐えるすべを知らない人は、どうやって残りの時間を過ごすのだろうか。友人からの便りは絶え、なにかと理由をつけて子供達は訪ねて来ず、消毒薬臭い病室でシーツのヒダを数える以外することは残っていない。鈍行列車の旅は、そんな時に備えて、いやがおうでも空っぽの時間と向き合う機会を提供してくれる。
さて、盛岡から先は、第三セクター(*2)のIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道を乗り継いで青森駅を目指す。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にちなんでつけられた名前だが、新幹線が八戸まで開業する前はJR東日本の路線だった。それをそっくりそのまま民間に移管し、岩手県側と青森県側で分割したのが両鉄道会社である。
すっかり日は落ちてしまい、知らない土地に入ったのもあって次第に心細くなっていった。人家はまばらになり、集落の明かりらしきものはほとんど見えない。だが鉄路はまだまだ途切れそうにない。岩手県は意外と広い。日本全国の中で、北海道に次ぐ広さの面積を誇っている。
鈍行列車での東北の旅は、仙台以北からがいよいよ本番である。
一体、青森駅にはいつ着くのだろうか・・・・。
*1 常磐線:JR東日本は2020年1月17日、3月14日のダイヤ改正に合わせて常磐線を全線再開すると発表した。東日本大震災の影響で一部地域が帰還困難区域に指定されており、運転を見合わせていた。
*2 第三セクター:ここでは日本の「第三セクター鉄道」の意。日本国有鉄道やJRから分離、または経営が切り離された並行在来線区間や赤字ローカル線、私鉄などを引き受けるために設立されたもの。
文・ハシモト レオン
1995年 川崎市生まれ。2018年上智大学文学部哲学科卒業。現在同大学院文学研究科哲学専攻在学中。ギリシア哲学を研究する傍ら記事を執筆している。趣味は美術鑑賞、映画鑑賞、純喫茶巡り、パイプ喫煙など。