赤坂に想う
しばらく振りに赤坂の街を歩いていて、この街は、他と全く違う想いがすることに気付いた。例えば人形町や、神楽坂を散歩して、街の風情を書くのとは、きわめて異なる印象にとらわれざるを得ない、ということであった。
さらには、この感情を如何に表わしたら、適切なのかに戸惑わされているのも事実。
それなら、今日訪れた店や、食など身近な現実に触れることを選ぼう。
地下鉄赤坂見附駅を出て、和菓子の赤坂青野は変わらず、一ツ木通りに出た。道を渡り切って赤坂不動尊威徳寺さんの坂を登ろう。とすると見事に期待を裏切られた。見上げる坂も、仏閣もなく、目の前の林立するビル街の出現に唖然。昔、この坂を不動信仰を好んだ母を連れ、行き来したことを思い出した。街は変ってしまった。全ては時の流れのままに。私は浦島太郎。しかし、考えてみれば、あの頃の母は、今の私より若く、髪は一部紫に染めていた。
一ツ木通りは、乃木坂方面に向って歩いて行くと確かに左に大きくかしいだ道だ。赤坂の街全体は、右手上の六本木、乃木坂方向から大きな傾斜地の下の方に位置する。
ちなみに赤坂には、ほぼ60前後の坂道が在るといわれている。道の左側の銘茶店は昔からあり、ここでは時折、茶だけではなく、陶磁器を買った。余り使わないが、大振りの信楽の片口など、余計なものを連れて帰ったものだ。しかし、人と待ち合わせをした喫茶店も、中華の青冥も姿を消した。
今日は左手の坂を登り津つ井で昼食の上、旧料亭街の先の柿山であられを買おう。津つ井は六、七十年前、乃木坂途中に出店、日本の洋食で売った。場所柄からいって一寸隠れた美食の店だったが、バブル崩壊の後、現在の米大使館付属住宅地横に移り、大きく展開。一般客室から大小の和洋個室を備え、家族から中、小の会議に便利。味も値段もこの半世紀余り変らず。当時としては少々高く感じたが(お前さんの収入が少なかった!?)、今ではリーズナブル。
こうした行き方の店で、美味を保つ店が京都にも在る。今、清水二年坂の味自慢洋食みしなは、元祇園花見小路の名店つぼさか(*)のオーナーシェフの娘さん夫婦が経営(ダンナさんの旧つぼさかの料理長は先年亡くなり、更に後継ぎに)、値段も味も今に引き継いでいる。記事を書くと客が殺到するのが常だが、こちらは店が狭く予約も取り難い。以前からの客が迷惑する心配はない。
話を元にもどし、にっぽんの洋食津つ井は、元来肉料理が得意だが洋食全般良い。ランチセット約1,500円~2,000円、ディナーセット7,000円~10,000円で味、量共に満足できよう。
「柴田さん、お変りございませんね・・・・」
黒いスーツ姿の美人から声が。若女将の筒井文路さんから声が掛った。
「やあ、今年もどうぞよろしく。ところで大女将は?」
「おかげさまで元気にいたして居ります。このところ、夜分に店に出るようにしておりますので、夜分にも、是非・・・・」
ワイン好きには、肉料理に備えてシャンベルタン程を供し、喜ばれてきた。待ち合わせには玄関を入ったバーカウンターも好適。今日楽しんだメニューは和風ブイヤベースと焼き飯、半世紀変らぬ味。美味也。ごちそうさまでした。
食後、旧料亭街への道すがら、うなぎの名店重箱を見掛ける。健在のようだが、私のうなぎは築地、日本橋。かつて、利用した口悦は営業を閉ざしている。なつかしいたい家は開業中、社会人として初めて入ったこの店で、一人前の男の肴の食べ方を伝授された。
赤坂について語る時に触れねばならないことは、この地が如何に接待文化の中心であったかということ。江戸時代から花街として栄え、大戦を越えた歴史は長い。1970~1990年頃、最盛期には料亭は30軒を越え、芸妓は300人といわれているが、現在料亭は1╱3以下、女性は1╱10以下だろうか。
大学を出て初めて社会に姿を現わした時代、接待の中心の産業界、特に「鉄は国家なり」と叫ばれた重工業の世界。接待にも格式や作法が在った。この時代には一般の社会にも、恥や誇りという言葉も観念も残っていた時代であった。従って、宴席の饗応、盃の献酬にも作法、品格は、自ずと認められている社会だったといえる。ところが、こうした社会感覚は物の見事に崩れ去った。政界も、財界も、一般社会も全てがあっと云う間に変り、現代の社会が。
この間、社会人としては、総合商社等に在席、鉄鋼原料、化学工業原料を扱って過したが、個人的に接待の場は京都に移し、祇園、木屋町辺りで過した時期が長い。そうこうしている間に京都での50年が過ぎた。
今、たどりついた赤坂柿山は、この地に創業1971年。富山のお國言葉、かきやまは、煎餅、あられの類を意味する。先代社長の故郷富山の粳米と名峰の水が醤油煎餅の名品を生んだ。醤油の深い味わい、重厚さ。噛みしめてうまい。場所は丁度旧料亭街の出入口にあたる。麗しい多くの芸妓さんが訪れ、進物客も多かったことだろう。
そう云えば、金井克子似の美人月子さんは今、どこで、どうして居られるやら。
*「つぼさか」(京都祇園):地元民以外は入り難い美味の店ナンバー・ワン。上客が舞妓を馳走に連れてくるやら。美味で高かった。

1937年生まれ。慶大経済学部卒、総合商社、大手石油会社などを経てフリージャーナリストとして独立。国際政治・経済問題から芸術文化、和菓子の研究まで豊富な知識と深い見識で執筆活動を続けている。