遥かなる北端
踏破距離1500キロ #1
人間にはおよそ二種類ある。日常生活に幸せを求め、いまここにある小さな世界で満足できる人。日常がどれだけ幸せでも飽き足らず、常に「ここではないどこか」を求める人。
私は後者だ。大学3年の秋、一枚の切符を握り、鉄路で日本最北端を目指すことにした。まだ見ぬ北の果てへの憧れが、この旅へと駆り立てた。
旅の序章
9月の早朝、上野の空は灰色の雲が垂れ込めていた。
ちょうど西からやってきた雨雲が日本全土を覆いつくそうとしている時で、東京もついに曇天に呑まれてしまった。予報ではむこう一週間、北海道はほぼ雨雲に覆われる。それが何か不吉な予感めいて感じられ、万全の準備をしたにもかかわらず、鉄路で北の果てへと向かうこれからの旅が不安に思えて落ち着かなかった。
私はその日、まず5時に起きるという第一の課題をクリアした。これを達成すれば、今日のところはひとまず問題は起きない。というのも、一本でも予定の列車に遅れれば、野宿をするか旅を断念しなければならないからだ。これから私は鈍行列車とフェリーを乗り継ぎ、三日間かけて日本最北端の稚内を目指す。
鈍行列車の旅は、のんびりしているように見えて実は慌ただしい。上述の懸念が常に付き纏うからだ。とりわけ今回の旅はきわめてタイトにスケジュールが組みあがっており、厳しい時間管理が求められる。田舎に行けばいくほど、列車の本数は少なくなり、列車の接続にしくじればその日の目的地には着けない。
私の計画では、鈍行列車で行ける上限ぎりぎりの距離を移動することになっていた。一日目は八戸、二日目は旭川、三日目は現地にとどまり四日目は稚内、五日目は丸一日そこで過ごしたのち、六日目は小樽、七日目に苫小牧から船で東京へ立つ。つまり自由に使える三日目と五日目をのぞけば常に移動していることになる。体力勝負のスケジュールである。
出発
上野駅で弁当を買い込み、宇都宮行きの東北本線に乗り込んだ。この区間(宇都宮線及び湘南新宿ライン)の列車は15両もあるから、端の方にあるボックスシートの車両に移動するにも一苦労だ。ホームでスーツケースのキャスターをごろごろ鳴らしながら、息を切らせて列車に乗り込んだ。
列車は定刻通り、6時59分に北へ向かって滑り出す。ビル街を抜けると、飛鳥山公園が目に飛び込んできた。そのあたりを境にして、ビルは徐々に低くなり、やがて周囲の風景は住宅地に、そして住宅地は初秋の色づいた田園地帯に変わる。早起きで頭が朦朧としていたため、途中何度か窓にもたれて目を瞑ったが、どうにも眠れない。ふと目を開けて窓の外を見ると、列車は利根川にかかる長い鉄橋を渡っているところだった。上野を出て二時間も経たないうちに、列車は宇都宮駅に到着した。
宇都宮といえば餃子である。宇都宮市内では「正嗣(まさし)」と「みんみん」の二大勢力がしのぎを削っており、双方に熱烈な支持者がついていると聞く。宇都宮出身の友人(彼女は正嗣派である)曰く、正嗣はキャベツが、みんみんは肉がたっぷり入っているのだとか。仙台に行く時はここで一時間ほど下車し、餃子と佐野ラーメンを食べるのを楽しみにしているのだが、今回宇都宮に到着したのは8時42分。隣のホームではもう黒磯行きの列車が待っている。かつて首都圏で使われていた、懐かしいステンレス製の通勤車両だ。またもや慌ただしく列車に乗り込むと、車内は地元の通勤客やスーツケースを持った旅行者でごった返していた。
50分ほど揺られると、黒磯駅に到着した。ここは言わば近郊列車の最北端で、この駅を境に直流から交流(*1)へと変わる。旧国鉄時代、まだ電気機関車が茶色い客車を引っ張っていた頃は、この駅で機関車を交流用のものに付け替えていた。その間しばらく時間があったため、乗客は「九尾ずし」という駅弁を買い求めたそうだ。この駅弁は2005年まで売られていたが、残念ながら今は高速道路のSA等でしか手に入らない。長距離列車がとまった頃、この駅は栄えていたことだろう。しかし今は往時の面影はない。
別のホームには、東北本線でおなじみ、赤と緑のラインが入った2両編成の車両が入線していた。東北本線ではボックスシートの車両とロングシートの車両が混在しており、北へ行くほど後者の比率が高まる。長距離の鉄道旅行では、ゆっくり背にもたれて景色を楽しめるボックスシートの方がありがたい。入線してきたクロスシートの車両を見て落胆し、尻を痛めながら次の駅までやりすごした経験のある18キッパー(*2)は少なくないだろう。黒磯駅で乗り換えたのは、不幸にもロングシートの車両だった。
列車はけたたましく汽笛をあげながら、緑の山の間を縫うような線路を、風をきって疾走する。たった2両の小さな車体は、見た目よりもパワフルだ。人家はまばらで、周りはどこまでも山が続く。この区間は東北本線の中でも利用者数が少なく、列車の本数も他の区間ほど多くない。
小一時間ほどで列車は福島駅に到着した。隣のホームに入線してきたボックスシートの車両を見て、ほっと安堵する。これでようやく弁当が食べられる・・・。
*1 電気鉄道における電流の種類。本数が多い首都近郊などは直流、本数の少ない地方などは交流となっている。
*2 JRの普通・快速列車が乗り放題になる「青春18きっぷ」ユーザーのこと。但し、今回の旅行では「北海道&東日本パス」を利用した。
文・ハシモト レオン
1995年 川崎市生まれ。2018年上智大学文学部哲学科卒業。現在同大学院文学研究科哲学専攻在学中。ギリシア哲学を研究する傍ら記事を執筆している。趣味は美術鑑賞、映画鑑賞、純喫茶巡り、パイプ喫煙など。