ビリー・シーン奏法を徹底研究する異色のベースプレイヤー・浅野聡さんに聞く
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あこがれのビリー・シーン、
その研究は生きることそのもの[その2]
高等専門学校に入るまでは音楽と無縁だった浅野聡さん。だが、ハードロックの世界では代表的なベースプレイヤーのビリー・シーンとの出会いで、その後の人生が大きく変わった。現在、ベースのミュージシャンとして、また、ビリー・シーン研究の第一人者として、そのテクニックや練習法を“ぢゃっく”というニックネームでWebなどに紹介。世界中の熱心なビリーファンとの交流の輪を広げている。
たが、現在に至るまでの社会生活の中で、うつ病を経験。休職を余儀なくされ、ベースはおろか、音楽からも遠ざかる時期もあった。
好きなベースでうつ病を克服
――お子さんは先天性の障がいで日常生活での介助が必要だそうですが、あなたまでうつ状態になってしまっては、奥さんも大変でしたね。でも、うつ病は必ず治る病気と聞いていますが、うつ状態からどうやって克服することができたのですか。
浅野 奥さん、そして職場の方々には、多大な迷惑をかけてしまいました。今でも本当に申し訳ない気持ちです。結論から先にお話しすると、再びやる気と行動を起こす勇気を与えてくれたのは、やはりビリー・シーンとベースのおかげでした。療養のため休職して、うつ病の本もたくさん読みましたが、これといって回復につながるヒントも見つからず、先の見えない真っ暗なトンネルの中にいるような毎日でした。
半年ほど過ぎたある日、YouTubeで偶然ある動画を見つけたのです。ビリー・シーンが在籍しているMR.BIGというロックバンドの代表曲「Addicted To That Rush」のベースをコピーしている方の動画でした。使用ベースは、ビリー本人が使用しているのと同じシグネチャー・モデル。このとき、思い出したんです、「そういえば、僕も同じようなことやってたよなあ・・・」と。久しぶりにベースを手にしてみました。すると、とにかくベースを弾くことに没頭することで、身体も心も楽になることが分かりました。これが僕にとって、トンネルの出口から差し込んだ希望の光だったのです。
――かつて夢中になっていたビリーとベースは、魂のよりどころだったのですね。
浅野 そうだと思います。それがきっかけとなり、学生時代、色々と研究していたことも思い出してきました。そして少しずつ回復の手ごたえを感じ始めた頃、ちょうど高専の卒業20周年同窓会がありました。正直なところ、まだ人に会うことに恐怖心があったのですが、思い切って参加しました。これが正解だったと思います。
――その時もうつ状態からは完全に回復してないですね。
浅野 はい。でも、同窓会の間は、自分でも驚くほど調子が良かったように思います。最後の文化祭のステージで、僕が長々とベース・ソロをやったことを覚えてくれていた人もいて、感激しました。20年ぶりに会った友人達は、僕が元気に笑顔で学生生活を送っていたころの姿を思い出させてくれたのです。本当に有難かったです。
この後、「せっかくあれだけビリー・シーンのことを研究していたのだから、このまま誰にも伝えないのはもったいないかも・・・」と思えるようになりました。そこで、ビリー・シーンスタイルのブログとYouTubeの動画投稿を始めたんです。観てくれる人なんているのだろうかと思っていましたが、少しずつ反応がありました。僕と同じくらいの世代で、同じようにビリーのことを長年研究されている方々にも共感してもらえたりして、すごく嬉しかったです。ビリーファンとのやりとりを重ねていくうちに、自分を取り戻していくように思えました。
――そういえば、プロフィールにも音楽教室のベース講師、音楽スタジオのスタッフ、コラムニストのほかに「ビリー・シーン研究家」とありますね。ところで、ビリー・シーンとの出会いは、ビデオ以外にも、実際お目にかかったことは?
浅野 忘れもしませんが、初めてビリーを生で見たのは、1996年でした。当時大阪に住んでいた奥さんがビリーのベース・クリニックが開催されることを教えてくれて、大学のあった愛知県から参加したのです。ビリーの弾き方、考え方に直接ふれられる絶好の機会でした。セミナーの終盤にビリーへの質問コーナーがあり、奥さんと二人で「はい!はい!」と必死で手を挙げると、ラッキーなことに当ててもらえました。僕の質問は、「ビリーさんはハーモニクスを多用されていますが、音程は気にされますか?」というものでしたが、ビリーは実際に弾きながら「あんまり気にしないよ」と答えてくれました。それだけで、僕は大満足でした。憧れの人が自分の為だけに話してくれる肉声を聞き、その表情もつぶさに見ることができたのですから。
――ビリーを最初に観たビデオと同じようなベース・クリニックに、今度は実際に参加し、本人と直接の対話が叶ったわけですね。
浅野 はい。また、そんな感動にひたるなか、もう一つの出来事がありました。ひとりの高校生とおぼしき若者が英語で質問をしたんです。私の場合は日本語でしたので、通訳の女性を介してのやりとりでしたが、彼の場合は通訳を介さず、ビリーと直接コミュニケーションしていました。たしか大阪でお好み焼きをぜひ食べてほしいとか、当時活動休止中だったMR.BIGを再開させてほしいとか、友達感覚で気軽に会話をしていました。なるほど、英会話ができれば、さらにビリーとの距離を近づけることができるんだ・・・と気づかされたのです。
――ソフトウェア関連の仕事では英語はかなり必要では?
浅野 たしかにソフトウェアの仕事は、英語の読解力が必須です。英語で書かれた仕様書を隅々まで読み込み、理解した上で、設計・開発を進める必要があります。ですから、英語の読み書きは日常的に行っていたわけなんですが、会話となるとてんでダメなんです。しゃべれない、聞き取れない。コミュニケーションには役立たないものでした。ベース・クリニックで英語で質問した高校生をみて、「僕もビリーと直接話したい!」と強く思ったのですが、結局、何年経っても英会話のほうは上達しないままでした。しかし、つい数年前、あることに気が付いたのです。例えば、子供は、2歳くらいから会話ができるようになるそうです。当然、まだ文法や単語などは知りませんが、大阪で育てば関西弁で話しますし、東北で育てば東北弁で話します。また、江戸時代に作られた寺子屋は、庶民に読み書きそろばんを教えました。では、それまで庶民は会話ができていなかったのでしょうか。当然そんなことはありません、読み書きなんてできなくても、言葉を話してコミュニケーションができていたわけです。これはどういうことかということです。
――日本人は、英語の読み書きは出来ても、なぜか英会話が苦手という人が多いようですね。
浅野 私は、大学院時代に、人間の脳がどのように運動を学習していくのか?というテーマの研究をしていました。「言葉を話す」しゃべるというのは、人間の脳からすると、スポーツや楽器の演奏と同じく「運動」のカテゴリであり、読み書きのような知識記憶系の学習とは全く別物なのです。脳の運動学習は、実際に身体を動かして反復練習することにより、理想的な動きと現実の結果とのギャップを少しずつ減らしていくように進められることが分かっています。つまり、英会話を習得したければ、楽器の習得と同じように、お手本に合わせて、実際に声を出す練習を繰り返す必要があるのだと考えました。
――つまり、真似をすることが大切なのですね。
浅野 そうです。真似をしていく過程で、理想と現実のギャップ、つまり誤差を認識し、それを少しずつ減らしていくように脳が成長していくのです。
そこで、ビリー・シーンがインタビュー等で話す動画を観て、受け答えのフレーズを徹底的に真似してみました。たとえば、バンド(band)は「べぇあんd」、ボリューム(volume)は「ばぁりゅうm」、ボディ(body)は「ばぁでぃ」、ピック(pick)だったら「ぺぇっk」などと・・・。(d,m,kは形式的に書いているが、ほとんど言わない)。発音・アクセントを真似してみると、いままでの英語学習との違いを感じることができました。一般的に日本人が英会話を苦手とするのは、学校でローマ字を勉強してしまったのが良くなかったのではとつくづく思います。英単語をローマ字読みしないことを心がけるだけでも、ずいぶん変わりました。自分で発音とアクセントが似せられるようになると、会話中で聴きとれる単語のかたまりが増えてきたんです。これでずいぶん自信がついたと思いますね。
「ドッグキャンプ」でビリーとベースを交換して“競演”
――英会話もベースのように独学でマスターしたわけですね。せっかくしゃべれるようになったのですから、憧れのビリー・シーンと直接会話してみたいとは思わなかったのですか。
浅野 実は、ついにその夢が叶ったのです。3年前の2015年の夏ですが、アメリカのニューヨーク州ビッグインディアンというところで開催された「ドッグキャンプ」に参加することができました。ビリー・シーンが所属するロックバンド「The Winery Dogs」が主催する合宿型の音楽セミナーです。とは言っても、参加までの道のりは大変でした。なにしろ、これまで海外旅行といえばアジアなどの近場しかなく、アメリカは初めてで、ましてや自分で計画を立てる一人旅なんて全く経験がありません。しかも目的地は、インターネットを検索しても情報がほとんどない人里離れた山中のキャンプ場。とにかく不安しかありませんでしたが、ビリーと直接話して、一緒に演奏できるチャンスは他にはありません。ソフトウェア会社も退職していたのでタイミング的に「今しかない」と考えて、思い切って決断しました。
――実際、キャンプではどんな体験をされたのですか。
浅野 1週間ほどのキャンプでしたが、ビリーやバンドメンバーと身近に過ごす日々は、本当に信じられないようなことばかりで夢のようでした。食事のテーブルなど、ビリーと直接話す機会も何度もあり、貴重な話がたくさん聞けました。深夜、屋外で他の参加者とビリーを囲んで、お酒を飲みながら何時間も談笑できるなんて、想像をはるかに超える体験でした。こういうのをまさにプライスレスというのでしょうね。そして、最終日には、念願叶って、ビリーと一緒にベースを弾くことができました。これには感動しました。しかも、素晴らしいことにビリーが実際のライブステージで使っている機材一式をそのままの状態で弾かせてもらえたのです。ビリーには、私が持参していたベースを弾いてもらい、私はビリーがまさに使っているそのままのベースを手にして、The Winery Dogsの曲をツインベースで演奏しました。緊張のあまり、ほとんど覚えていないのですが、一つの曲を一緒に弾き、ビリーのベースを手にして、リアルなビリーサウンドを体感できたことは最高の体験でした。そこで、改めて実感したことは、「サウンドは手の中にある」というビリーの言葉でした。僕がビリーのベースを弾いても、そこまで同じような雰囲気は出せませんでした。逆に私のベースを手にしたビリーのプレイは迫力満点そのもの。私のベースは、ビリー・シーンモデルの廉価版で、ヤフオクで2万円で落札した中古品でしたが、そのプレイにはビリーらしさがあふれていました。
――どんな楽器でも上手に弾くことができるテクニック、さすが、ですね。
浅野 キャンプ中にビリーといろいろお話したことや、現地の様子などはブログの方で詳細をレポートしていますので、ご興味があれば、ぜひ観ていただきたいですね。YouTubeチャンネルでは、主にビリー・シーン奏法についての解説や練習法の紹介動画をアップしています。Twitterでは、「ビリーシーン語録」ということで、役に立ちそうなビリーの発言を紹介していたり、SNSを通じて、全国にいるビリースタイルのベーシストの皆さんとのコミュニケーションを楽しんでいます。ブログを立ち上げたのも、40歳を過ぎてからですが、社会人になってからはビリーの活動にも全然フォローできなかったので、この空白の15年間を埋めるつもりで、情報収集を続けています。
――YouTube やWEBマガジンなどのコラムでは「ぢゃっく」というネームになっていますね。
浅野 はい、全て「ぢゃっく」というニックネームで活動しています。これは、実は、ベースのジャックノイズが由来です。学生時代、私のベースの調子が悪くてノイズが酷かったことから、バンド仲間につけられたニックネームが「ぢゃっく・がりー」だったんですね(笑)。「じ」ではなく「ぢ」と書いたのも付けてくれた友達ですが、気に入っているのでそのまま使っています。
――では、“ぢゃっく”さんとしては今後、どんな活動をされていくのですか?
浅野 ビリー・シーンの研究と情報発信は、今後も続けていきます。日本中、世界中にいるビリーファンの方と、もっと交流を深めたいと思っています。また、いつかドッグキャンプのような合宿型のイベントも企画してみたいです。実際、ビリーファンの方とお会いできたとしても、話したいことが多すぎて、全く時間が足りないのです。僕がドッグキャンプで経験したような、時間を気にすることなく、食事やお酒を楽しみながら、ベース片手に、朝まで音楽談義に花を咲かせられるような非日常的な環境を作りたいです。その流れの延長で、ビリーを招いてベース・クリニックをやってもらったりできたら・・・なんて、こっそり夢見ています。ただ、レッスンでは、私の演奏スタイルのこだわりだけを押し付けるのではなく、なるべく、生徒さん一人一人が、そのひとなりのベースを楽しんでいただけることを目指しています。ベースは楽しくて奥が深い楽器です。これからベースを学んでみたいという人も、いろいろな感動をそれぞれ味わっていただきたいと思いますね。
――それならば、たくさんのベーシストの賛同があるでしょうね。
浅野 それから、ビリー・シーンのことを、もっと多くの人に知ってもらいたいという気持ちがあります。ビリーは音楽性が素晴らしいばかりか、人格的にも大変優れていて、人間としての魅力に溢れた方です。私にとって、ビリー・シーンとの出会いは、人生の確かな指針を与えてくれた素晴らしい宝物です。生きることの価値を見いだしたとき、人生の試練を自分を磨く出来事として、うけいれることができます。みなさんには、自分にしかないそれぞれの出会いがあります。
インターネットという夢のあるツールをフルに活用して、私の忘れられない感動をたくさんの人にも味わっていただけたらと思います。
――夢ではなく実現できるようになるといいですね。世界中のビリーファンを楽しませるためにも頑張ってください。この駿河堂マガジンも微力ながら応援したいと思います。
※あこがれのビリー・シーン、その研究は生きることそのもの[その1]は、こちら
インタビュー・文:福田 俊之
写真(人物):前田 政昭
〉関連情報
・リンクラウンジ:ビリー・シーン スタイル by ぢゃっく
・WEBマガジン「スタジオラグへおこしやす」コラム:
https://www.studiorag.com/blog/fushimiten/author/jack
・「ビリーシーンスタイル・ベースの探求」:
http://billysheehanstyle.blog.fc2.com/
・「ビリー・シーンのプレイスタイルの研究を始めて幾年月」:
http://www.mag2.com/m/0001632932.html
・YouTube「ビリー・シーン スタイル」:
https://www.youtube.com/user/pordoril
・Twitter:https://twitter.com/jack_billystyle
・Facebook:https://www.facebook.com/satoshi.asano.7923