「売り場での仕事は
お客様の『買い方』を見抜くことが大切です」
百貨店やスーパーなど流通業の最前線にいる販売員に向き不向きはない。「人とのコミュニケーションを取るのが苦手で・・」などと自身で勝手に見極めてはいないだろうか。都内の百貨店で長年販売の仕事に携わった後、販売教育のプロとして後進の指導に当たる阿部眞代さんも実は「販売が嫌い」だったという。その阿部さんは「『売り方』に正解はなく、大切なのはお客さまの『買い方』であり、変化を見抜いて信用を勝ち取ること」と指摘する。現場での豊富な経験談を踏まえながら自分の潜在能力に、目覚めて・引き出して・磨く[販売員の心得」を伺った。
都立5商から開業間もない小田急百貨店に入社
――阿部さんは生き残りをかけてしのぎを削る百貨店はもとより、2020年以降のAI時代に向けた販売員の教育を提案していますね。「学ぶなら、より実践的でなければ価値がない」をモットーに、楽しく仕事ができる教育を推進していますが、専門分野は何ですか?
阿部 ひと言で言いますと「売ること」ですね。その実践的なノウハウを教育しています。小田急百貨店の本店(東京・新宿区)で長年販売をしていた実務経験を生かして、流通や専門店など各方面でレクチャーしております。
――長い間、都内の百貨店に勤務されていたということですが、東京のご出身ですか?
阿部 はい、東京の高円寺の生まれです。小学校は地元の杉並第十小学校でした。
――いきなり、年齢を伺うのは失礼かと存じますが、外見から判断すると団塊の世代ぐらいですか?
阿部 いいえ、もっと上ですよ(笑)。いわゆる戦中派世代とは少し違いますが、終戦を迎えるちょっと前の生まれです。
――では、そのころのクラス学級は、戦後のベビーブームの世代より人数は少ないですよね。
阿部 はっきり覚えていませんが、1クラスに50人ぐらいは在籍していたと思います。
――地元の小・中学校から高校に進学したということですが、普通科ですか?
阿部 いいえ、国立市にある都立第5商業高校です。当時の女子高生はまず大学に行く人は少なく、高校を卒業すると大半は就職しました。親の考えで、就職率の高いところにしなさいということで、商業高校に行きました。共学で男女半々くらいでしたが、確かに、卒業生は、当時も人気企業だった壽屋(現在のサントリー)とか大手銀行や総合商社などが主な就職先でしたね。
――阿部さんも人気企業を志望したのですか?
阿部 とんでもない。演劇部に入っていたので部活動は一生懸命頑張っていたと思いますが、恥ずかしいことに、銀行や商社などの入社に有利な特技や資格としての簿記やそろばんもほとんど覚えませんでした。担任の先生もあきれて卒業はなんとかさせてくれましたがね(笑)。でも、何故かデパートなら入れるかなと思って、小田急百貨店を受けました。
――当時、デパートと言えば働く女性の憧れの職業だったと思いますが、三越や高島屋、それに伊勢丹など老舗の百貨店ではなく、どうして新興の小田急を志望されたのですか。
阿部 ちょうど、そのころ、小田急電鉄が新宿駅に小田急百貨店を開業したばかりで、新宿駅なら通勤にも便利だし、オープン直後なら先輩もいないので重圧を受けることも少ないかなと、そんな単純な動機でした。百貨店は1962年の開業ですが、私はその翌年の入社です。同期組は200人ぐらいでしたが、定年前に30年も勤続した親しい同僚の人も辞めたので、2000年秋に退社したときはもはや同期の女性は私一人でした。
退社後は短大などで人材開発・教育担当の講師に
――ということは勤続37年、定年まで勤め上げられたのですね。
阿部 いえ、定年は60才でしたが、55才で退社しました。振り返ると、私の場合は退社後に独立して短期大学や専門学校で、これまでのキャリアを活かして人材開発・教育担当の講師を務めたり、講演活動も始めたので、55歳の選択が人生の一つの転換点になったと考えています。
――阿部さん流の「働き方改革」ですね。ところで、小田急百貨店に入社して最初は、どんな部署に配属されたのですか?
阿部 販売の仕事は好きでもなかったのですが、雑貨の売場でした。簿記もそろばんも不得手ですから当然、事務職は無理でしたからね。雑貨売場でも主に婦人用の帽子の売場でした。その頃は婦人用帽子というと、皇族の方がかぶるようなおしゃれな帽子がブームでしてね。子ども心にいつか大人になったら、こういう帽子をかぶるんだなあと思っていましたが、とはいっても、帽子の知識、まして販売の知識は何もありません。
――それは大変ですね。
阿部 そのようなわけで、わずか1年前に開店したばかりの百貨店でしたから、たしかに先輩は少なく、1年前に入社した先輩でも、開店に伴い同業他社から移ってきた年配のキャリアの方々ばかりで、わからないことがあれば、聞いたことについては親切に教えていただきました。でも基本的には、売り方などの指導をしてくれる人がいない状態でした。しかも、商品知識の本もなく、売り方の本もありませんでした。
――それでは、困りましたね。
阿部 はい。それならばと、実践の中から大切なことを集約して、こつこつ気づいたことをメモとして書き留め、独自のノートを作成しました。その当時2冊のノートにびっしりと書き留めていましたが、ある日、それを上司に見られて、係長や主任たちにそのノートを見せ、この子は教えることが好きかもしれないと話したそうです。それからは、指導員を数年経験しました。新人ひとりに先輩1人がつき、1年面倒みるというのが、当時の小田急百貨店の教育方針でした。そこでも、さらに情報が集まりました。
――販売とは何か、と体系化していったのですね。
阿部 そうですね。販売とは?そのストーリー化したものができていきました。集大成とも言うべきものを、最近、人材派遣会社社長にプレゼンしました。その会社は人材派遣会社ですが、メーカーからの派遣店員の教育が主な業務で、その人達の育成は今後どのように発展させるべきか?、などと私に意見を求めたのです。
売り場での「買い方」には5つのパターンがある
――派遣会社の社長からも一目置かれていたんですね。
阿部 そうかも知れませんね。最近の百貨店では、新入社員の採用が少なくなっています。従って販売員は取引先からの派遣が多いのですが、派遣されて来る人達は教育が整っている大手メーカーからばかりとは限りません。その結果、教育を受けずにいきなり店頭で働く人は少なくありません。私は、このような立場の人への教育が必要だと考えています。「売り方」には完全な正解はありません。ですから「このような場合には、このように」という販売の方法を学ぶことが大切なのです。
――「売り方」に正解がない。意外ですね。
阿部 日本コンサルタント協会などではストーリー化しています。ただ、それはあまり実践的ではないと、私は感じています。そこで私は集大成としてマニュアル、テキストを作り上げたのです。
――今日のネット時代では、直接売り場に行かなくても通販でも好きなものが買えますね。
阿部 はい、古い人間にはよくわかりませんが、AI(人工知能)が発達していく時代なんですね。販売員が必要ない売場もあります。しかし、ますます必要な売場も多くあると思っています。ですから、必要な売場を明確に選別して、その売場には、お客様を本当に満足させることが求められます。私は「売り方」を教えてきましたが、実は大切なのはお客様の「買い方」なのだと思っています。
――具体的にはどんなことですか。
阿部 お客様の買い方には5つのパターンが考えられます。
1:フリー 自由に売場を見て歩く
2:セルフ すべては自分自身が決める
3:ヘルプ 販売員のアドバイスも参考にする
4:コンサルタント いろいろな疑問に多角的に相談に乗ってもらいたい
5:固定客 自分の求めているニーズを長く理解してくれている販売員がいる
このようにお客様によって、買い方はさまざまです。さらに大事なのは、お客様の買い方はその場でも変化するということです。販売員はそのサインを見抜かなくてはならないわけで、それには販売員のセンスも問われるでしょう。
――どんなサインですか。
阿部 例えば、販売員は近寄らないでというお客様。または、本当は買う気があるのに、販売員が来てくれないなど、お客様はサインを出しています。更にお客様のサインは変化することがあります。それを見極めることが販売員の役割です。最終的には、よいコミュニケーションに結びつけ、信用を勝ち取るのが、販売員の心得だと思っています。つまり、コミュニケーションをとることは、よりお客様の求めていることを知りたいという意欲です。販売員自身が持っているパーソナリティーのなかでコミュニケーションをとる努力をすればよいのです。知らないことがあってもかまいません。販売員自身の範囲のなかで、無理なくふれあうことが大切なことなのです。
――なるほど、最終的にはお得意様を得るのが、販売の仕事の醍醐味なのですね。豊富な経験談をもっとお聞きしたいところですが、成功へのストーリーなど具体的な事例については、後日、この駿河堂マガジンでコラムを連載していただければと考えています。本日はありがとうございました。
インタビュー・文:福田 俊之
写真(インタビュー時):前田 政昭
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