「平成最後」の最後に想うこと
激動の30年は「幸せな時代」だったのか?
皇位継承に伴い、泣いても笑ってもあと数日で「平成」時代は幕を閉じて、いよいよ5月1日からは「令和」という新元号に替わる。新天皇の即位のスケジュールが決まってからは、新聞、雑誌などのメディアでは「平成最後の○○」という判で押したようにお決まりのタイトルで、激動の平成30余年の歴史を振り返る特集企画が際立った。1989年1月7日に当時の小渕恵三官房長官が「平成」と毛筆で書かれた額縁を掲げた懐かしい写真も多く目に付いたが、新元号の「令和」を発表した4月1日以降は菅義偉官房長官が「令和おじさん」として存在感を増しているのも、変わり身の早いメディアらしい。
ところで、私自身ノーテンキな性格上、過去を顧みて「あんなこと、こんなこと、色々なことがあった・・・」などと感慨に耽るのはあまり好きなほうではないが、今回はそれこそ”平成最後のコラム”でもあるので、自戒の念も込めながら「平成」とは一体どんな時代だったのかを少々振り返ってみたい。
「便利」になり過ぎた日常の暮らし
まず、平成時代の日本経済を総括すれば、日経平均3万8915円87銭という過去最高値の好景気から始まり、バブル崩壊以降、「失われた20年」と呼ばれるデフレの長い低迷時代に入り、金融危機から不良債権を抱えた銀行や構造不況に見舞われた電機業界など多くの業種で再編や統廃合などの大変革を迫られた激震の30年間でもあったといえるだろう。
では、身の回りの暮らしぶりの変化はどうだったのか。最近は人手不足などの問題で「24時間営業」が問われているコンビニが全国各地に普及したことで、弁当や総菜などの食料品や日用品雑貨まで時間を気にせずに買うことができる。また、デジタル革命によるモバイルの発達で固定電話から携帯、スマホになり、手紙や電報などの連絡手段も手書きからワープロへ、さらにパソコンからのメールでの送受信が大半を占めるようになった。
電車やバスの乗り物もいちいち小銭を出して切符を買わずにPASMOなどのICカードをかざすだけで乗れる。クルマにしても道路地図を見ないでもカーナビを取り付ければ目的地までの所要時間と最適のルートを検索して音声で案内までしてくれる。カーオーディオもカセットテープからCD、さらにはスマホを使ってカーナビとBluetooth接続で音楽を聴くことも可能だ。
国連の幸福度ランキングで日本は58位に後退
身近な生活でもずいぶんと便利になったものである。ただ、それだからと言って自分を含めて周囲の日本人が「幸せ」と実感しているかどうかはわからない。3月に国連が発表した2019年版の世界幸福度ランキングによると,日本は58位。しかも前年の54位から4ランクもダウンした。この調査は、1人当たりの国内総生産(GDP)や社会支援、健康寿命、社会的自由、他者への寛容性、汚職のなさなどの調査をベースに156カ国の順位を決定するものだが、ちなみに、フィンランドが2年連続で1位、2位はデンマーク、3位がノルウェーの北欧だった。さらにカナダが9位、EU離脱で揺れる英国が15位、ドイツが17位、トランプ政権で騒がしい米国が19位、フランスが24位、イタリアが36位などと続く。欧米の先進国を除くと、ニュージーランドが8位、オーストラリアが11位、メキシコが23位、チリが26位、ブラジルが32位、シンガポールが34位、タイが52位、韓国が54位などと、日本よりも上位にランクしている。
この調査では自分にとって最良の人生から最悪の人生までを10段階に分けた場合「いま自分はどこに立っていると感じるか」という質問への回答結果であって、いまの自分が実感する「ハッピーな気分」をあらわすものではないようだ。つまり、「有意義な人生を送っていると思うか」という幸福度をランキングしたもので、例えば、マイカーにしても軽自動車でも走る歓びを感じながらドライブを楽しむ人もいれば、ベンツやBMWのような高級外車でなければ満足しない人もいる。
さらに、クルマの話題を続ければ、最近は複数の人がクルマを「共有」して気軽に使い回しするカーシェアリングが流行っているという。高度成長やバブルを謳歌した昭和生まれの中高年世代は、住宅ローンで郊外にマイホームを購入し、マイカーを庭先のガレージに入れて、休日には愛車を丁寧に洗車ワックスするのが、当時の一般的なサラリーマン世帯の暮らしだった。「隣のクルマが小さく見えます」などと、見栄を張るような新車のCMが流れていたのもこの頃だ。クルマに対する価値観の違いにもよるが、その世代のオヤジたちにとってカーシェアを理解するのはなかなか難しいだろう。つまり、若大将シリーズの加山雄三のヒット曲「君といつまでも」のセリフのように「幸わせだなぁ」と思う感覚というのはそれぞれの価値観によって大きな隔たりがあり、単純に比較することはできないものなのである。
令和時代は固定観念を払い発想の転換を
さて、間もなく始まる「令和」はどんな時代になるのだろうか。ローマ帝国時代に「暴君」の異名を持つ皇帝ネロの師となった哲学者が「もし誰かを幸福にしてやりたいならば、その人の持ち物を増やさずに欲望の量を減らしてやるとよい」という名言を残したそうだ。幸せの定義とは、「体の健康」、「心の健康」、そして「懐 (金銭)の健康」の三拍子がそろってこそ実感できるものだと私は思っている。身近な小さな幸せに満足しながら感謝の念を抱き、その日々の積み重ねこそが大きな幸せへと導くものではないだろうか。老若男女を問わず新元号に切り替わるのを機に令和時代はこれまでの固定概念を払いのけて既存の価値にとらわれない発想の転換が大いに求められそうだ。
ふく☆ぺん
駿河堂MaG編集部 編集顧問