後白河法皇と
後白河法皇御所聖跡 天台宗法住寺
一. 上洛の日
十一月一日、晴。
今日は上洛の日、朝5時起床。部屋は未だ闇の世界。朝焼けに空が染まる頃には朝食を了え出発。7時15分東京発の新幹線に乗車、9時前には京都着、10時菓子匠末富応接室にて山口社長と歓談、銀杏餅と雪餅を受領。駿河堂マガジン編集長らを迎えた。往路でできるだけスピードを上げ、一日の諸行事をすませ夜9時過ぎ京都発、東京駅11時半帰着道約20時間の取材旅行。
二. 和菓子をつくる
法住寺様お供えにあつらえたのは、銀杏餅と雪餅。共に純白の冬の菓子。炒った銀杏の香ばしいほろ苦さと、こし餡の甘さが、茶の味を引き立てる。雪餅は、道明寺でこし餡を包み、外側に氷餅を細かく砕いてまぶし、輝く雪の白さを強調した。
三. 法住寺界隈へ
正午過ぎ、先ずは寺の後背地を占める後白河法皇陵(正式には、ごしらかわてんのうほうじゅうじのみささぎ)に参拝。勿論、ここは宮内庁管轄で御門は寺とは別になっている。市内にこれ程立派な、巨大な遺構があることを人は知っているだろうか。法住寺御本殿は、この御陵と三十三間堂の中間に存在する感があるが、従来、法住寺領は、上部の御陵部分から三十三間堂を含め鴨川に至る広大な寺域であった。
三十三間堂は、人も知る通り、家臣の清盛が、法皇の命を受け建立した仏堂、蓮華王院本堂がほんとうの名。以前には法住寺からは、川の方向に、街全体が俯瞰できたことだろう。今では、一般人はおろか、タクシードライバーも、御陵や法住寺を知らぬのに驚かされる。
四. 後白河法皇記
日本史を識る者で、後白河様の御名を知らぬ日本人はいないだろう。中学、高校の日本史教育や、その他の論文、評価を通し、源平両家を、あたかも手玉にとった大天狗、老獪な策謀家イメージを植え付けられて来た。
確かに、激しい政治的な時代を生き抜いて来た人生。同時代の政治的な主役のうち、藤原頼長、信西(藤原通憲)は惨死。崇徳上皇は配流地で死去、平家一門は赤間ガ関で滅亡。清盛は熱病死、源義経は兄頼朝に殺され、頼朝は落馬がもとで病死。同時代を彩った文化人達俊寛、文覚、鴨長明等の時代の狂気のような死に様の中で、いろいろな階級の多くの美女をはべらせ、浮名を残した男。遊びをせんとや生まれけむ、流行歌今様を楽しみ「梁塵秘抄」10巻をまとめた。最後は大音声で念仏を唱え上げて、安静の死を迎えた後白河法皇の人生は、男として実に素晴らしい。彼の時代に、他の人生を求めるとすれば、それは、花のもとにて春死なむ、と言って死を迎えた西行法師をあげるだろうか。彼もまた粋狂なお人であった。法皇の墓所は、のべてきたとおり法住寺の後方の御陵。ちなみに西行の墓は大阪府河南の弘川寺。訪ねたことは無いが、桜の花の下で偲ぶのみ。 |
五. 御住職とのお話 今様を楽しむ
御住職お導きで編集長共々本堂身代り不動明王様に参拝、隣接阿弥陀堂で後白河法皇様の御木像(前立)(公開日限定)のご紹介を受ける。月日の経つのは誠に早いもので、御住職赤松様ご一家とは、現住職で三代目に。今回手土産に持参したのは、市販の「後白河法皇」単行本、京大教授故人の博士論文。
話題は、平家物語や当寺をめぐる歴史認識等々。
過去2 ~30年にわたり、テレビなども歴史流行、NHKの大河ドラマなどがはやり物になって来た。歴史認識もさまざま。例えば吉川「新平家物語」など。作者はもののあわれと評したが、物のあわれは王朝時代、源氏物語。男女の恋のやるせなさ、せつなさの世界。平家物語は殺し合いの戦記物語、諸行無常の世界だろう。この他にも世の中には、司馬史観など異な物も流布されてきたが。思えば法住寺の地名も、三十三間堂廻り町など異な事だ、と想うが。こうしたお話はまさに「ほっちっち」(注1)と言われそうだ。ということで急いで今様に話をもどす。御住職の新しく収められた今様と名作(注2)遊びをせんとやに酔った。天台声明に精進され、日々の読経できたえあげられているお声は意外に優しい。声をおさえ、静かな発声は素晴らしかった。日頃から時折口ずさんでおられる母君の今様など、日々の暮しが伝統を深めているのだろうか。願わくば、将来、平曲(注3)復活に途を。 |
(注1)ホッチッチかもてなや お前の子じゃなし孫じゃなしホッチッチ・・・・
京のわらべ歌?「ほっといて、よけいなお世話」という意味合いの歌。
(注2)遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺るがるれ 梁塵秘抄(三五九)
(注3)平曲(へいきょく)・・・・語り物の音楽。
盲目の琵琶法師が琵琶をかき鳴らしながら語った「平家物語」のメロディ、
および演奏様式のこと。

1937年生まれ。慶大経済学部卒、総合商社、大手石油会社などを経てフリージャーナリストとして独立。国際政治・経済問題から芸術文化、和菓子の研究まで豊富な知識と深い見識で執筆活動を続けている。