後白河法皇と
後白河法皇御所聖跡 天台宗法住寺 Ⅱ
はじめに
赤間神宮縁起
奉納起案
先帝祭と行事
赤間神宮でのミラクル
という今回のお話だが、書いていて、ばらばらの話のようで判り難い。
これらを結びつけていることは、一種の因縁話。全てのことは、正に因縁生起。
これは仏教用語としての因縁と同じ。平家物語を想起すれば判ることだが、後白河院は、幼くして亡くなった安徳天皇(先皇)の祖父にあたる。後白河法皇の今回の奉納“法住寺による”は、幼帝と平家一門に奉納する宗教行事。
赤間神宮縁起
古い古い時代からの阿弥陀寺(現赤間神宮)の存在はよく知っていたが、赤間神宮様とのご縁は比較的新しい。松山の美術館プロデュースに専念した時代、下関に在る地中海文明のコレクションを再度訪問の機会があり、平家伝説の神宮を訪ねるようになった。境内には、平家一門の墓七盛塚(盛のつく名の武将七名他の墓、怪談「耳なし芳一」の舞台)、隣接して美術棟などの歴史が残る。ここで重要な平曲の譜本赤間本(仮称)全二十六巻を発見。宮司水野直房様(現名誉宮司)のおはからいで全巻を撮影。これが機縁となり深いおつきあいとなった。氏は国学院で有職故実を専攻され、宮内庁を経て神職をつがれた。キャリアからは堅物の典型の響きがあるが、あにはからんや。幕末の山口の名君毛利敬親侯的風貌でユーモアを解する現代的紳士。以後お役所に御上京時に江戸で、祭事にご上洛時にと交流の機会はしばしば。勿論、後白河由縁の御寺様や菓子匠をご紹介。
奉納起案
「柴田さん、赤間神宮の水野様に一度お話をして頂けませんか」ごく自然なご相談を頂いたことが、奉納に到るきっかけ。法住寺前ご住職赤松様ご一族とのおつき合いは深い。上洛時は必ず法住寺様か六条御所長講堂様を訪問。いずれも親類に帰って来るように。宗教的な集いもあれば、季節の風流の催しもあった。花を楽しむ、月を賞でる時もあった。祇園会の折などは東京勢も、地元衆も同時にお招きしたり。赤松ご住職のお炊きになる京風筍、昆布などのお土産は心がこもった味付けが嬉しかった。こうした親交もあって、赤間さんでの奉納の話はきわめてスムーズに進んだ。先帝祭(*)春のメインイベントという運びとなり、それにふさわしい規模で、一般に解り易い内容を、ということになった。出演は、赤松御住職ご夫妻と副住職(御長男)、御長女様、たおやかな美女白拍子井上由理子女史は華。コラボレーションをまとめる音楽は芸大卒で国際的演奏経験が豊かな川口彩子女史が担当した。
筆者自身が1980年代に遊学したオックスフォードで識った英国近代演劇史や、当時流行ったシェークスピアのトレヴァー・ナンによる新解釈演出なども構想作りの基礎になった。
* 先帝祭 赤間神宮(下関市)の祭事。安徳天皇の遺徳を偲び、命日である5月2日をかわきりに4日まで3日間行われる。
先帝祭と行事次第
平成二十二年度、先帝祭行事内容は以下。
五月二日
午前十時 御陵前祭
十二時三十分 後白河院今様奉納
午後二時 平家一門追悼祭
午後三時 安徳帝正装参拝
午後四時 全国平家会総会
後白河院今様奉納(京都法住寺赤松家奉納)にて、後白河法皇縁の一同より御一門の追善供養と永久なる平和の願いをこめて、次の内容による奉納が行われた。
一、華の法会
天台宗の代表的法要である「法華懴法」を短縮し華やぎを添えて、「華の法会」と名付けた。袍裳七條姿の僧侶による、美しい旋律の声明、続く「七方念仏」では蓮の花びら(和紙)が舞う散華のなかで白拍子が舞う。心清浄にて「後唄」を唱え、厳かに法要を締めくくる。
二、妙の今様
平安から鎌倉にかけて盛んに歌われた「今様歌」の再現。僧侶と、平安貴族の装束である袿姿の女房がもっとも有名な今様二首をご神前に捧げる。
三、光の弦
おだやかな光を含んだヴィオラの調べ。バッハ「無伴奏チェロ組曲第三番」よりヴィオラの奏でる「サラバンド」「ブーレ」に誘われて白拍子が舞う。続くヴィオラ独奏はブリテン作曲の「エレジー」。別れの曲だが、未来に向う清澄な明るさに満ちており、平家一門に捧げるに相応しい。
四、円の祈り
奉仕者全員で「勤行作法」より「円鈍章」を唱和し、源平も、洋も和も、普く円に和することを願う。
声明、今様などの選択に関しては、親しみやすく、判りやすいものを選んだ。古より続く今様、白拍子舞と、ヴィオラのコラボレーションは平和を願い、東西の調和、融和の可能性を示した。
赤間神宮様神前でのミラクル
奉納の最中、有り得ない情景が起った。誰も想像すらしていなかった参加者の出現。真昼の群集の上に、一匹のコウモリが現われ、数分間にわたり舞い続けた。
光線の具合、見る側の位置関係、見える者も、見えない者もあった筈だ。ここはラフカディオ・ハーン(*)怪談の地。やはり何か不可思議なことが起り得るのか。しかし、これは妖怪変化の類ではない。真昼の明るい光の中、群集の目の前で起った現象。まさにこれはミラクル(奇跡)であった。我が目を疑いながらも、これは現実であった。平家一門追善供養の場でのミラクルであった。
はてさて、あの小動物は、どなたの化身だったのかな。安徳天皇の母方の祖父清盛公か、茶目っ気旺盛で知られた後白河院か。
* ラフカディオ・ハーン(小泉八雲):ギリシャ生まれの新聞記者、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家、日本民俗学者。日本各地に伝わる伝説、幽霊話などを再話した怪奇文学作品集「怪談」を著す。赤間神宮が舞台の「耳無芳一の話」は、この作品集から広まった。
あとがき
今春、この物語は、後白河院のもう一つの居城であった元六条御所、長講堂を訪ねて終りとなる。平家物語の大原御幸のくだりで、彼が大原寂光院に建礼門院(平清盛の娘、安徳天皇の母親、平徳子。1213年没)をたずねる起点となった旧御所を紹介。

1937年生まれ。慶大経済学部卒、総合商社、大手石油会社などを経てフリージャーナリストとして独立。国際政治・経済問題から芸術文化、和菓子の研究まで豊富な知識と深い見識で執筆活動を続けている。